歯の寿命をのばす会

フィリピン歯科ボランティアの体験記

フィリピンボランティアご報告

フィリピン歯科ボランティアの体験記

みなさまから、歯ブラシや石けんなどのたくさんの支援を頂きありがとうございました。

おかげさまで無事にフィリピンボランティア活動をする事ができましたので体験記をご報告させていただきます。

水上に家が建っております

水上に家が建っております

出発の日は成田に7時半集合だったのですが、前日は気持ちが高ぶってほとんど寝られなかったです。
フィリピンまでは飛行機で約4時間、時差もたった1時間だけでアッいう間に着いた印象です。

真冬の日本から、常夏のフィリピンに行ったので『外国に来たんだ』とヒシヒシと感じました。
そしてフィリピンについてバスで移動する際に水上生活者の家を見たときには『これからフィリピンでボランティアが始まるんだ。
頑張ろう!』と身が引き締まりました。

初日は空港から直接、現地の小学校に行ったのですが、現地の子供たちと出会ったときには、そんな構えた気持ちではなく、自然に人と人としてのふれ合いに変わりました。
どの子も、目をキラキラ輝かせて、屈託の無い笑顔を見せてくれるのです。
逆にこちらが勇気や元気をもらえたのを今でも覚えております。

img_volu02二日目は同じ小学校でいよいよ歯科治療!
ペンライトや普通のプラスチックの椅子しかない状態の治療なので不安がいっぱい・・・。
一人目の患者さんは5歳ぐらいの子で右下の奥歯二本の抜歯です。
日本では当たり前のように、治療をして残せる歯なのにここでは抜歯をするしかないのです。
しかしこれも世界の現実なのだと自分なりに受け止めるしかありませんでした。
理由は、抜歯の治療が地元で700円程度との事でしたが、一日の生活費が100円以下で暮らしてる人たちにとっては到底、継続的な歯科治療費を払える事ができないからです。

一人目の子は、たぶん初めての歯科治療なのでしょう。
とても緊張した面持ちでした。
でも驚くことに治療中に泣くことも無ければ、嫌がって動く事も無く終始じっと治療を受けてました。
正直、フィリピンの子供達の精神の強さを感じました。
『厳しい環境で生きているので、精神的にタフなのか?』
『歯科治療を受けられるのは今回しかないので、我慢してるのか?』
何がそうさせるのかは分かりませんが、子供たちの強い力を感じました。

そして、治療後に『バイバイ』と挨拶してくれる笑顔が忘れられません。

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3日目も歯科治療でしたが、今回はスラム街の大人の治療がメインです。
と言っても私よりも若い20歳ぐらいの人たちがほとんど。

ここでもやはり前歯や奥歯を抜くことが沢山ありました。

フィリピンの方の歯の根っこはとても長く、治療器具もままならないのでとても抜歯に苦労しました。

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スラム街のメイン通り / 歯科の器具も各先生方の寄付です。

その時に、ボランティアの責任者の先生に言われた言葉があります。
『この歯を抜くのは大変だよね。本当は抜いちゃいけない歯なんだよ。
抜いちゃいけない歯だからこそ、この歯は抜かれない様に抵抗してるんだ。
ここでは抜くしかないけど、それを忘れちゃいけないよ』と。
この言葉は、フィリピンのボランティアの時だけでなく日本に帰って、歯の一本一本の大切さを患者さんにしっかり伝えていかなければと改めて考えさせられました。

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暑い中、門の外まで並んでくれています / 入口は警備の方がチェック

治療の途中、地元の方の警備のもとでスラム街の裏路地の住宅街を見学させて頂きました。
ガイドさんが言うには『ここの地域の人はゴミ拾いをして、使える物を売って生計をたててる』との事でした。
たしかに実際に街に入るとマニラ市街地とは違い、街全体に臭いがしました・・・
でも、3分もすると慣れます。
スラム街の裏路地は、道がとても狭く、人が一人通れるぐらいの道が永遠と続きます。
ところどころで、金属の柵をしてお菓子や手作りのご飯を売ってるお店があるんです。
道は炭鉱のように入り組んでいて、一人で入ったらたぶん迷子になって出てこれないほどです。
もちろん一人で行くことはないですし、通訳のフィリピン人の方も危なくて、一人ではこの街は来れないとの事でした。
現地の方の警備がなければ怖くていけません。
観光では決して立ち入る事のできない貴重な体験をさせて頂きました。

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左の柵をしているところがお菓子屋さん / 非常に狭く、ゴミがたくさん落ちていました。

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お昼休みもポールを枕にして寝ていました

話は変わりますがボランティア活動のタイムスケジュールは結構忙しく毎朝5:45起床で、夜は機材チェックに高校生とのミーティング医療関係者でのミーティングなどが11時ぐらいまであります。
治療の疲れで、その後に飲みに行く気力は無く、同部屋のドクターには悪いのですが毎日ホテルですぐに寝ていました。
忙しかったですが、とても充実した時間を過ごせました。

ところで、プライベートで唯一街にでたのがホテルの近くにある大型ショッピングセンターです。

入口に警備の人が立っており、ボディーチェックを受けました。
フィリピンは拳銃の所持がOKの国なので、拳銃のチェックみたいです。
ショッピングセンターに入ると、通路に出店がいくつかありました!
当然の様に呼び込み声が、『お兄さん、お土産に買っていかない』と。
見てみるとたぶん、いや間違いなく偽物だと思われるブランド品がたくさん売ってます・・・。
『こんなに堂々と売って大丈夫なのだろうか?』と心配なります。
そんな私の心配はよそに、むこうは商品をドンドン勧めてきますのでとりあえずお断りして、スーパーの中へ。

目的は、バナナ!
現地のバナナを食べてみたいと思っていました。
スーパーに入るとありました。
ありました。
わんさかバナナがありました!
やはりフルーツはメイン食材なのか、入口近くに『ドーン』と陳列されてます。
見たことないフルーツもありましたが、包丁もないので手軽に食べれる若干小さ目のバナナを購入!
仲間にも一本ずつ配り、夕食後に食べて見ました。
が!
『まずい・・・まずすぎる・・・。』
あまりのまずさに、一口で断念。
正確にはマズイと言うか、繊維質が強すぎて硬くて食べられないって感じです。
後日聞いてみると、生食用のバナナと調理用のバナナがあるようで、たぶん食べたのは調理用のバナナだったのだと思われます。
う~ん、残念でしたがこれも思い出かと。

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バスの後ろのポールにしがみついて乗車 / ビールに氷を入れて飲むのが現地流らしい

ちなみに100円ショップ、改めか66ペソ・ショップもありました。 その名も『日本城』。
1ペソのレートは2円強なので100円ショップより高いです。
その他にも、シャワーがでなかった事や現地のバスに外に掴まって乗車したなどたくさん話がありますが長くなるのでこの辺で。

でも、最後に一つだけお話させて下さい。

img_volu09最終日に街のレストランで全員で夕食した帰りの事です。
店をでると、裸足でいる小さい女の子が4人。
上の子は7歳ぐらい。一番小さい子は3歳ぐらいでした。
小さな手を私たちに差し伸べて『money』と言ってきます。時間は、もうすでに夜の9時です。
たぶん、店から出てくる人にずっと声を掛けているのでしょう。

『I have no money』と言うと悲しそうな顔をしますが、 バスが出る時には屈託のない笑顔でいつまでも手を振ってくれました。
フィリピンは日本からたった4時間の場所ですが、まったく日本とは違う環境で生きてる子供達がいます。
学校にも行けず、裸足でゴミ拾いをし、病気になれば治るのを祈るだけの環境で生きている子供達がそこにいました。
私は何不自由無い日本で生まれ、そして育ってきました。
しかし私自身が努力した結果で、この豊かな日本に生まれた訳ではありません。
もしかすると、あのフィリピンの子と同じような環境に生まれていたのかもしれません。
『運命』
といえば、一言で終わってしまう問題かもしれません。

今回、ボランティアに私が参加しても貧困は無くならないし、世界は何一つ変わることはありません。
しかし同じ地球、そして同じ時代に生まれた人間として、どんな小さな事でも実行するのは大切だと感じました。
そして、今回のボランティアを通して私がフィリピンの人に何かを与えたのではなく、フィリピンの人達から私がいろんな事を教えてもらった気がします。

日本は豊かな国ではありますが、物質だけでなく本当に心まで豊かな国であるのか?
あの過酷な環境の中で、笑顔で生きているフィリピンの子供達を見ると考えさせられるものがありました。

今回、、多くの患者様から歯ブラシや石けんを本当にたくさん寄付して頂き、ありがとうございました。
物以上に、みなさんのお気持ちがフィリピンの人たち届いていると思います。

 

一般社団法人 歯の寿命をのばす会
伊勢海 信宏